2012/02/25

メンテナンス

調子を崩してしまいました…といっても、マイ・チェンバロのことです。
鍵盤のアクションが少し鈍くなったのと、弦のゆるみが出たので、急遽調律師さんにヘルプをお願いしました。一音でも音が出にくくなると、気になって仕方ありません。今年は湿度の振幅が激しいそうで、楽器にも負担がかかってしまったようです。

↓こうやって、鍵盤を取り出した後、ガガーッと掃除機をかけます。
半年に一回くらいはホコリ取りもしないと、ね。
掃除機をかけた後は、澄んだ音がします。

加湿器は常に付けて、湿度計ともにらめっこしているのですが
それでも、楽器の方は少しずつ変化してしまいます。
チェンバロはやっぱり繊細だナ。

でも、見て頂いたお陰ですっかり元気になりました。
練習再開です!




2012/02/17

ドイツ留学記 その2

フライブルク音楽大学の入学試験に無事合格し、現地で生活を始めたのは98年春でした。行きの飛行機では、確か不安で泣いていたっけ。初めての海外生活は、もちろん心細いものでした。

生活を始めてみて、まず直面したのは語学の問題。ヴィザの手続き、学校の入学手続き、大家さんとのコミュニケーション、スーパーでの買い物、あらゆることをドイツ語でクリアしないと生きていけませんでした。当たり前ですが。最初に感じたのは「日本のゲーテ(語学学校)で用意していったドイツ語なんてちっともヤクにたたない!」というか、、「今の私のドイツ語能力では、分からないことの方が多すぎる」という愕然とした気持ちでした。

右も左も分からない世界では、引きこもるか、体当たりで外に出て行くか、どっちかしかないんです。言葉がわからない、その情けないことと言ったら…自分は、まるで生まれたばかりの赤ん坊のようだと感じていました。日本人の友達は助けてくれましたが、いつも頼るわけにはいきません。そこで、私はカバンに和独&独和辞書をいつも入れて持ち歩くことにしていました。銀行で口座を開いたりするのに判らない単語がでてきたら、ちょっとその場を失礼して、隅っこの方へ行って辞書をゴソゴソと出して、調べるのです。その時間のかかること!

渡欧して数ヶ月経った頃でしょうか。まず、言いだせるようになったフレーズは「Ich verstehe nicht」でした。英語でいうと「I do not understand」=「私は、理解していません」。会話の途中で、こんなこと言いだしたら、会話の流れがストップしてしまうのは100も承知。でもこうやって、会話を一度遮って「今の単語、何ですか?」とか「ゆっくりしゃべってください」と言えるようになると、相手もペースを合わせてくれ、徐々に言葉の理解度が増していくのがわかりました。最初は、なかなか言えなかった「Ich verstehe  nicht」。これを躊躇せずに言えるようになった頃には度胸もつき、ぐんぐん新しい単語が入ってきた、と自分でも思いました。

2012/02/16

美味しいものを…

昨日はご近所の洋食屋さん(ワインバー)に行って、夕飯を食べてきました。
美味しかったので、ちょっとだけ自慢しちゃいます。
                
時間のある今のうちに、外食も楽しんでおかないと…へへ。




2012/02/12

ドイツ留学記

早いもので、ドイツから帰国してもうすぐ10年になります。(=演奏家として活動を始めて10年!)時々、留学生活のことを思い出すので、少しずつ当時のことをここに書いていくことにしました。楽しいことも大変なこともありました。そんな貴重な体験は、覚えているうちに書かないと忘れてしまいそう。不定期エッセイになりますが、どうぞお楽しみに!



◆ドイツ留学記(98年~2002年) その1〜準備

留学の準備を始めたのは96年、桐朋音大の4年生の時です。最初はヨーロッパのどの国へ行きたいのか、どの先生につきたいのか、自分でもさっぱり分かりませんでした。ただ自分の中ではっきりしていたのは、「今の自分には、プロとしてやっていける自信も技術もない。もっと勉強してから演奏活動を開始したい。」そして、「ヨーロッパ文化を肌で感じたかった」という二つの思いです。

桐朋在学中は、恩師の先生のことでひどく苦労していたので、まずはヨーロッパのあらゆる講習会に参加して、師事したいと思う先生を慎重に選ぶことからはじめました。音楽は感性の世界でもありますから、先生と生徒の相性はとっても大切なのです。
結局1年かけて、イタリア(ヴェネツィア)のK・ギルバート、ポルトガルのK・ハウグサン、フランスのN・スピート、A・ジルベライシュ、そしてドイツのR・ヒルなど、あらゆる先生の講習会に参加して廻りました。細かく教える先生、「もう上手だからあとは自分で工夫しなさい」という先生などいろいろいましたが、’この先生こそ、私が出逢いたかった方!!’と感じたのは、フライブルク音大のヒル教授でした。斬新なアイディアに溢れ、『バロックはもっと自由に演奏すべきだ』という考え方に大いに刺激を受けた私は、先生との相性も良さも感じ取りました。自分でいうのもナンですが…私、勘はすごく良いのです。迷わず「弟子にしてほしいのですが」とお願いすると、快くOKを下さり、先生も私を気に入って下さったのが分かりました。それがドイツ留学の準備が始まったきっかけです。日本に帰ってから、早速ゲーテ・インスティテュートに申し込みに行き、ドイツ語の勉強を始めました。


      
♪96年ヴェネツィアの講習会にて。右はK.ギルバート氏。



      


2012/02/03

昨日は

私の誕生日だったので、夫婦でお鮨を食べに行きました。
あまりに美味しかったので、穴子鮨をテイクアウト。
口の中でとろけました!
私、日本に住んでてよかった〜、と思う瞬間です。