2012/03/29

ドイツ留学記 その5

服装で怒られる!の巻


桐朋の音大生だった頃、鍋島先生が「バロック音楽は、ジーパン穿いて演奏するような曲じゃありません」とおっしゃったのが強烈に印象に残っていたので、なんとなく私は日本ではジーンズを穿かないでいました。もともと小柄だし、スカートの方が好きだったこともあり、ドイツに住んでからも、私はしばらくスカートを穿き続けていました。

ところが、ドイツではスカートを穿いている女の子は珍しかったのです。
学校に行くと、よく「Makiko はいつもスカートだねぇ」「Mini Rock!=またミニスカート!」と言われていましたが、特に気にせず、その格好で過ごしていました。

忘れもしない、ある寒ーい冬の日のこと。
私は、いつものようにミニスカートにロングブーツ、それにロングコート、という出で立ちで、道を歩いていました。そこへドイツ人のおばさんが通りがかり、何やら私に向かって、激しい口調で怒りだします。

「アナタ、なんでそんな格好してるの!!」
「えー、何かいけないことでもありますか?」
「足なんか出して、風邪ひくじゃない!!もっと温かい格好をしなさい!!」
「ひえー。。ハイわかりました」

何で、こんなことで説教されなきゃいけないの?と思いつつも、直感で「これはこの土地でよくある、親切心からくる、おせっかいだ」とわかりました。自分としては、充分温かい格好をしたつもりでしたが、ここは、何せファッションよりも機能性を重んじるドイツ。目立つのは嫌だったし、見ず知らずの人に怒られたので、さすがに私も考え直すことにしました。数日後、しぶしぶカジュアルショップ(日本でいう、ジーンズメイトみたいな店)に出かけて行って、安物のジーパンとメンズのシャツを購入。でも、それを身につけるようにしたら、何だか、急に現地に馴染んだような気分になっていきました。ヨーロッパの友達には「Makiko、その方がセクシーだ」といわれ、全くその意味がわかりませんでしたが、まあ学生だし、服装なんてどうでもいいか、という感じで過ごしていました。

ジーパン生活にも慣れてきた頃でしょうか。
日本から私の母が遊びにやってきて、私を見るなり、言いました。

「なんだか、ずいぶん汚い格好してるけど…。どうしたの。
 服、買ってあげよっか?」
「あのー。私、わざとこういう格好をしてるんだけど!」


今度は、私が哀れな貧乏生活をしている娘に見えたようでした(笑)。



↑その頃の私。シャツがしわくちゃ…。
どうやら、自然界に馴染む色の方が、ドイツでは好まれるようでした。






2012/03/28

ドイツ留学記 その4

クラスメイトたちとレッスン

98年春から、フライブルク音大でのチェンバロレッスンが始まりました。当時のクラスメイトの国籍と人数は、日本2、スペイン2、ロシア1、アルゼンチン1、スイス1、ユーゴスラビア1、スロベニア1、ドイツ1、そして先生がアメリカ人、と実に様々でした。最初は英語でコミュニケーションをとる方が楽だった私ですが、ここではドイツ語が公用語なので、両方を使い分けることが、徐々にややこしくなっていきました。中には英語は話せないけれど、ドイツ語はできるという子もいて、ドイツ語を使わないわけにはいきません。気がつくと、私のドイツ語能力は英語力を上回っていて、半年くらい経った頃には会話は全てドイツ語になっていました。

            
 ↑これは学校のレッスン室。
ちょうど鍋島先生が、日本からいらした時の写真。


さてこのクラスメイト達、同じ年頃とはいえ、生まれ育った土地が違うだけあり、それぞれのバックグラウンドがまるで違いました。例えば、スイス、日本、スペインから来ている友達は経済的にも恵まれ、音楽教育もしっかり受けた上で来ていましたが、ロシアやユーゴといった国から来た友人たちは、母国が貧しく、また情勢もあまりよくなかったので「僕は帰る場所なんかない。国にチェンバロもないし、ドイツで音楽の仕事をみつける覚悟だ」と言っていました。当時、フライブルク国立音大は授業料がタダでしたし、ドイツの通貨もマルクで物価が安かったので、ユーロ圏に住んでいる子は、お金がなくてもビザさえあれば、とりあえずドイツに移り住んで勉強をすることができたのです。(ちなみに、当時の私の家賃は、ワンルーム約45平米で月650マルク=4万円弱くらい。他の大都市に比べれば安かった!)。彼らは、もちろん練習楽器なんて、家に持っていませんでした。私はなんて恵まれた国から来たんだろう、ということに気づき、また箱入り娘で育った、世間知らずな自分を自覚したものです。クラスメイトとは、すぐに打ち解けて、楽しい日々でした。
↑前列右がロバートヒル先生

ヨーロッパに出て、一つびっくりしたことがあります。
それは日本人以外の子たちは「思ったことは、恥ずかしいと思わずになんでも発言しちゃう」ということです。「僕は、今の演奏はあんまりいいと思わないな」とか「あのテンポは好きだ」とか、遠慮せずにポンポン言います。彼らはたとえ自分の演奏技術が低くても、確信を持って言います。「よく偉そうに、そんなこと言えるねー!」と最初は苦笑した私ですが、彼らは、子供の頃から自分の意見を言い慣れているようで、どうやらそれが普通のことみたいでした。でも、その方が人間性がよくわかるし、誰も気を悪くしませんでした。だから、何だかクラスはいつもいろんな意見が飛び交って、わいわいと賑やかだったのです。私はおとなしくしていると「何考えてるか、よくわからない日本人」になりそうだったので、徐々に自分を解放していくことを覚えました。不思議なことに、ドイツ語で話していると自分の考えを出すことが自然で楽になってきて、しかも音楽にも良い影響がでているような気がしました。きっと日本で自然に身に付けた『協調性』のようなものは、ヨーロッパでは全く必要なかったんですよね。クラスメイトたちの演奏を聴くと「日本では、かつて見たこともないような、強烈な個性を持った感じ」の人がいて、たまげたものでした。きっと、これはお国柄や文化が自然に滲み出ていたり、自己表現することにに慣れているためだったのでしょう。

ヒル先生のレッスンは、いつもアイディアが豊富で、目からうろこが落ちるような指導でした。先生のおっしゃることは、一つでも忘れるまいと思い、いつも楽譜に言葉をたくさん書き込んで帰りました。ここでは詳細は省きますが、貴重なアドヴァイスは、今でも役に立っており、留学先にフライブルクを選んで本当に良かったと思っています。

先生と。
         
*写真クリックで画像が大きくなります。




2012/03/21

春ですね

ブログ更新を一週間していなかったので、「もしや?!」と思った友達がいて、連絡をもらってしまいました。まだ産気づきませーん!今日がバッハの誕生日なので、ゼバス(sebas)作戦は、叶いませんでした。。残念。

一昨日健診に行ったら「もう少し時間がかかりそうですね。一週間後にまた来てください」と言われてしまいました。この分だと3月末か4月初めになるので、子供の学年がどっちになるか微妙です。臨月は体をたくさん動かす方がお腹も下がってくる、というのでせっせとウォーキングに励むことにしています。今日はお天気が良かったから、一時間半くらい歩きました。ポカポカと暖かくて、桜の花も咲いていたので、すっかり春を満喫しました。日本のこの季節はきれいですよね。日本の春って、私は大好きです。

今まで、ゆっくり散歩などしたことがなかったので、なんだか時間がゆるゆると流れていく感じがします。忙しかったり、仕事に打ち込んでいる時間も好きでしたが、追われない生活もなかなか良いものです。


あまり遠くに出かけられないので、最近は友達が家まで会いに来てくれます。
これは、先日Sちゃんからもらったヒヤシンス。
いい香りが部屋に漂っています♪


2012/03/03

ドイツ留学記 その3

厳しい規則

フライブルクで暮らしながら「これぞドイツの国民性!」と強く感じたことがありました。それは’規則を重視する国なんだ’ということです。生活の中でのルールは多く決められていて、それを徹底的に守る(従う)人々の姿を目の当たりにしました。

例えば、学校の事務手続きが遅れると、入学できないか退学です。教務課の秘書は、まるで警察官のように厳しい口調と表情で手続きをこなしていました。あるとき図書館の本を返すのが1日遅れてしまったら「罰金よ」と言われました。ええっ。そんな話、日本できいたことがあったっけ?!日本の学校の図書館で、返却がうっかり3日遅れたり…ということはよくあったのですが、それはドイツの大学では許されないとわかり、私はちょっと背筋が寒くなりました。小額ではありましたが、罰金は払わされて終了。トホホ。

それから、一歩外に出ると、街の交通ルールも厳しかったです。信号や右側通行は絶対でした。ある日、私は車道を挟んだ道路の左側にいて、ほんの数十メートルくらい先に用事があったので、そのまま自転車で道を走ったのですが「君、間違ってるよ〜!」と大きな声で注意されてしまいました。たとえ遠回りでも、この場合は、必ず道路の右側を走り→信号をわたって→折り返して右側を行って、目的地までいかないといけないのでした。信号無視に関しては、必ず誰かの見張りが利いていて「子供の教育上悪いわよー!」「赤ですよー!」とか注意する人がいます。日本ではこのぐらいでは注意する人はいません。

最初はうっとうしい、と思ったこの規則ですが、これをきちっと守る事によって、街の安全や秩序が保たれていることが徐々にわかってきました。それに、人に注意をする、というのは親切心から来ていることもなんとなく理解できました。ドイツ人は根は優しいんです。お陰でフライブルクは、予想せぬ危険はまったく起こらない、平和な街だったと思います。

このエピソードを、ちょっと音楽の話に置き換えても当てはまることがあります。例えば、バッハのフーガ。これはドイツ独特の「対位法」という規則を駆使した、音の’建造物’です。厳格な法則に従って、音を緻密に積み上げていき、その中に最高の美を作り出す。考えてみたら、このような作曲技法は他の国には見当たりません。だから、私はフーガを演奏するとき、これはいかにもドイツ人が得意とするスタイルだな、と思います。感情が前面に出たり、感覚的だったり、はたまた奇抜なアイディアが出てくるフランスやイタリアと最も違うところでしょうね。